がんと3ヶ月娘と私 ~AYA世代の闘病日記~

2018年8月に腎細胞がんと背骨への転移と診断(ステージⅣ)。とあるAYA世代の会社員の明るく楽しい(⁉)日々の生活を綴っていきます。

1年前は何をしていたか振り返る

自己紹介はこちらhttps://kurorotomo.hatenablog.com/entry/2019/02/06/222144

7月4日。

喋れなくなる不安

3日ほど前から後頭部(特に地面と接する部分)が異様に痛い。おそらく、頭の骨も溶骨が進んでいてその影響だろうと思っている。今までの経験上、肋骨や背骨のような骨の痛みは3日程(長い時は2週間程)休めていたら勝手に痛みが引いたが、今回も同じパターンであること祈っている。

しかしながら、不安に追い討ちをかけるように今日は呂律が回りにくい。↓

治療できるかギリギリの立ち位置 - がんと3ヶ月娘と私 ~AYA世代の闘病日記~

このように過去にも呂律が回りにくい日っていうのはあったが、今日は特にそれを感じた日だった。

言いたい単語があるのに舌が上手く使えず、すごく言いにくくて、イライラ。

以前、呂律が回らないのは頭蓋底の溶骨と関係しているとの診断を受けているだけに、今回頭が痛いのがセットなのはすごーく嫌な予感がする。

先日がんに対する治療は行わないと合意したものの、流石にこれは緊急事態かもしれないから…↓

一家の大黒柱としての自覚 - がんと3ヶ月娘と私 ~AYA世代の闘病日記~

ちょっとこれは主治医に相談してみよう。

1年前を振り返ると

7月初旬。1年前はどんな状態だったっけとふと振り返ってみた。↓

がんの判明までの経緯#2 - がんと3ヶ月娘と私 ~AYA世代の闘病日記~

B整形外科に行ってMRIを撮ってこれはマズいって事が分かったくらいだったか。生死に直結する病気かもという事で、妻にもダンマリしていたなぁ。

つまりそう、自分とがんとの闘いが始まったのがちょうど1年前。

あれから長かったようであっと言う間の1年。人生で最も苦しかった。

けれども、あの時何故かこうしなかったのだろうというような後悔はあまり無かったのではないか。

今、パッと思いつく後悔と言えば、低反発のマットレスを良かれと思って使っていた事くらいかなぁ(笑)。↓

オプジーボの投与開始! - がんと3ヶ月娘と私 ~AYA世代の闘病日記~

そういう意味では、この1年間は充実していたように思う。さてさて次の1年はどんな1年になるのか。後悔無いように1日1日を大切に過ごすよう心掛けたい。

 

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2019/7/4の治療・検査

無し

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