がんと3ヶ月娘と私 ~AYA世代の闘病日記~

2018年8月に腎細胞がんと背骨への転移と診断(ステージⅣ)。とあるAYA世代の会社員の明るく楽しい(⁉)日々の生活を綴っていきます。

がんの判明までの経緯#2

自己紹介はこちらhttps://kurorotomo.hatenablog.com/entry/2019/02/06/222144

新しい命

2018年4月5日。

私は、深夜妻からの電話で起こされた。 

「赤ちゃん産まれるかもしれない」

その日、午前4時50分に元気な女の子が産まれた。名前は出生届の期限ギリギリまで悩んで決めた。

当時、仕事はそれなりに忙しく夜10時まで残業することも多かったが、出産後は早く仕事を上がらせてもらって夜の面会時間8時前に滑り込むように入室して娘にミルクを飲ませたりしたものである。

当時、3000gそこそこの娘をだっこするのは苦痛なくらいまで腰痛はひどくなっていたが、初めての子供となればその痛みも抱くときだけは軽くなったような気がした。

 衝撃的な診断

B整形外科で衝撃的な診断をされたのはその2か月半後。妻は出産後の環境の変化で大きなストレスを感じているだろう。

自分は娘の世話をできるだけサポートすべきなのに、腰痛という理由でかなり甘えさせてもらっていた。妻の負担は、相当大きかっただろう。そのような状況で、病気の疑いがあるだけでまだ確定してもいないものを妻に泣きついて相談できるような状況ではなかった。

B整形外科でさらに広範囲のMRI画像を撮ると、肩にゴルフボール程の腫瘍が見つかる。

「もっと大きな病院で見てもらいなさい」

と医師に、地元では大きい(600床程度)A病院を紹介してもらった。妻には、腫瘍のことは言わずに腰の骨がMRIでまだらになっていたから、原因を大きな病院で見つけることを医師に提案された、とだけ伝えておいた。

 

よっぽど緊急度が高かったのかA病院では、思いのほか検査がスピーディーに進められた。2日目には、「腰を中心に多発性溶骨が認められる。肩の腫瘍が原因の可能性が高い。腫瘍の生検(取り出して病理検査)を行いましょう。」ということになった。

 事態はより深刻なことに

友人にこの状況を妻に言うべきか相談したが、ここまでくるとさすがに妻には言わざるを得ないだろうということで、すべてを話した。妻はその時点でどれだけ事態を深刻に捉えていたかわからなかった。

ただ、その数日後、妻と一緒に病院に行き先生が自分の背骨を輪切りにしたCT画像で、箇所によっては、50%程の骨が欠損している画像を見たときに状況が理解できたようで、

「ここまでひどいとは...」

と言っていたのは印象的だった。

運悪く肩の腫瘍は鎖骨の裏側に隠れるように潜んでおり、大きな動脈が通っている場所ということもあり全身麻酔での手術による生検ということになった。

 人生初の手術

7月17日に検査のため入院。1週間ほどの入院予定ではあったが、残念ながら8月20日現在も入院が続いている。7月18日に手術し、無事に終了。また、その翌日には肩の腫瘍は神経鞙腫といういわゆる良性の腫瘍であったことも分かった。

それでは、何が溶骨の原因なのか?

検査地獄の末に

手術以降、怒涛の検査地獄が待っていた。血液検査はもちろん、尿検査、胃カメラ、骨生検、骨髄生検など...正直もうすべて覚えていない。

ただ、最後の検査ははっきり覚えていて、PET検査だった。私でもPET検査は、がんがあるかどうかを調べるものだと知っていた。その検査を受けること自体ショックであったが、結果はさらにショックだった。

 

#3に続く...

 

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 抗がん剤の副作用?

8月20日

昨日、日曜日に必ず観ている「新婚さんいらっしゃい」と「アタック25」と「プロゴルフ中継」すべてを見逃したことに気づき、ショックを受けた。

朝からムカムカ調子が悪かったが、血圧が高く

上が151mmHg(通常は120前後)

下が91mmHg(通常は60台)

午後にムカムカは収まったが、血圧はそれほど下がらず先生からは下が100mmHgを超えるようであれば血圧抑制する薬を投与しますとのことだった。

こんなに、血圧が高くなることは初めてで、抗がん剤のヴォトリエントの副作用が早くも出ているということだろう。

 

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2018/8/20の治療・検査

・ヴォトリエント 4錠

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