がんと3ヶ月娘と私 ~AYA世代の闘病日記~

2018年8月に腎細胞がんと背骨への転移と診断(ステージⅣ)。とあるAYA世代の会社員の明るく楽しい(⁉)日々の生活を綴っていきます。

がんの判明までの経緯#1

自己紹介はこちらhttps://kurorotomo.hatenablog.com/entry/2019/02/06/222144

腰への違和感

2017年10月のとある休日。私はいつもの週末と同じように所属している草野球チームで野球の練習をしていた。キャッチボールをしていた時だっただろうか、球を拾おうと腰を曲げたときに腰に激痛が走った。

「ぎっくり腰!!」

一瞬でそう悟った。実は3年くらい前にも野球をしていて球を拾うという全く同じ状況で同じような激痛に襲われたことがあった。当時は1週間くらいでほぼ回復したので、今回もしばらく安静にしていれば治るだろうと思ったことを記憶している。

そして1週間経過。

2週間経過。

1ヶ月経過。

いくら安静にしてても腰の違和感が取れない... 

「何かおかしい…」

整形外科への受診

私がA整形外科を受診したのは、確か11月中旬だった。レントゲン、MRIを撮った後の診断結果は、ただの腰痛(年齢的な腰の劣化)とのことだった。湿布と痛み止めを処方され、とりあえず3ヶ月はリハビリをしましょうと医師から言われた。

そこから3ヶ月以上リハビリを続けるのであるが、全く改善の傾向は見られない。しびれを切らして医師に「もう一回ちゃんと見てください」と訴えたが、レントゲンで異常は見られず、医師の指示は"とりあえず様子見"のリハビリ。(この時、多発性溶骨があったと予想されるが、レントゲンでは確認不可)

腰の状態が悪化…

この整形外科ではどうにもならないと判断し、その後は接骨院・鍼治療・ペインクリニックの受診や腰回りの筋力トレーニングを試みたが、すべてしっくりこない。

その間、腰の状態は悪化し続ける。2018年のGWは腰痛で立ち上がるのも苦痛で、1週間寝たきりという状態にまでなってしまった。

腰痛の原因が分からない。このまま一生この痛みと付き合っていくことになるのだろうか?

再度整形外科を受診、その結果は…

藁にもすがる思いでB整形外科を受診したのは、6月末。MRIの画像を見て、医師の放った一言に衝撃を受けたのをはっきり記憶している。

「多発性の骨の欠損が認められる。何か腫瘍性のものかもしれない。」

本当に耳を疑った。まだ、30代そこそこやぞ?腫瘍ってがんみたいなもの?医師には怖くて具体的に疑いのある病名を聞くことはできなかった。ただ、最近はインターネットで何でも調べられる時代で、多発性骨髄腫というのが自分のMRI画像と酷似しているではないか!もちろん、その病名を調べると5年生存率〇〇%...とか書いてあるのを見て、すぐにそのサイトを閉じた。

逃げ出したくなった。

意味もなくこの身体、数年後にこの世に存在しているのか?と自問自答をした。

妻には言えなかった。

それは、私と妻の間にあったもう一つの命の存在があったからかもしれない。

 

#2に続く...

 

がんの判明までの経緯#2 - がんと3ヶ月娘と私 ~AYA世代の闘病日記~

がんの判明までの経緯#3 - がんと3ヶ月娘と私 ~AYA世代の闘病日記~

原発が見つかった!? - がんと3ヶ月娘と私 ~AYA世代の闘病日記~

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

仕事復帰への思い

8月19日。

長期連休最終日に、会社の上司2人にお見舞いに来て頂きました。会話の内容は、

こんなことになるとは思わなかった。「頑張れ。」「応援してる。」とか、お決まりの内容だった気もしているが、普段クールな上司が心配そうな顔で話しているのを見て本当に大変なことをやってしまったんだなと思った。

早く治して仕事復帰したい。 

その思いが、また一段と強くなった一日だった。 

 

**********************************************

2018/8/19の治療・検査

・ヴォトリエント 4錠

**********************************************