がんと3ヶ月娘と私 ~AYA世代の闘病日記~

2018年8月に腎細胞がんと背骨への転移と診断(ステージⅣ)。とあるAYA世代の会社員の明るく楽しい(⁉)日々の生活を綴っていきます。

病状の告白に関して思うこと

自己紹介はこちらhttps://kurorotomo.hatenablog.com/entry/2019/02/06/222144

6月22日。

会社関係者に病状の告白をする

昨日は疲れもあり、日記サボってしまいました。

今日は会社上司、親戚、妻の友人など沢山の方々がお見舞いに来てくれた。さらに、大学友人と電話もしたので1日中肺を使ってるって感じがした。この感覚は久し振りで良い意味で疲れた〜。

今日の1番のメインは会社上司との面会。約1ヶ月前に面会した時は不自由なく歩けていたので今回ベッドから動けない姿を見せたので心配掛けてしまったかなぁ。一応、想像してたより元気そうだなと言ってもらえたけど。

今回のお見舞いで話し合う内容はこの下の日記の内容にも通じるものがあるが、会社関係者に現状を伝える、その伝え方について話し合うのが目的。↓

受け取る側の気持ち - がんと3ヶ月娘と私 ~AYA世代の闘病日記~

「伝える」ということに関しての自分の考えは、今後病状が悪化して酸素マスクとかつけて全く話せなくなる前に、元気なうちにお見舞いに来てもらって話したいこと話す方が良いと思っている。だから、早目に会社関係者に病状を公表しておきたいという考えを持っている。そうすると、関係者外の人々に知られたくない情報が漏れるリスクがあるが、そこと天秤に掛けても会話すべき人と会話したい。そういう結論に至った。

今日は上司とその考えを共有。

上司はその考えを理解してくれたと思うが、今回の病状がどうだとかの情報の機密レベルは「極秘」級*1だから、一旦情報展開の仕方は上司側でも考えさせてくれという回答だった。

自分が誤解しているのかもしれないが、それは自分に対する気遣いかと思い嬉しかった。

とにかく、先日の宣告もあって病状告白については色々と動き始めている。自己満足でもいかんけど、自分も相手もお互いに幸せになるのが一番。その為にようやく第一歩目を歩み出したと信じている。

投了図にかける思い

なぜ将棋のプロ棋士は最後の一手目まで差さずに「参りました」と言って投了するんですか?

最近将棋に興味があってプロの局面を分析するなどしているが、たまたまそんな将棋関連の記事を読んだ。

冒頭の質問の答えだが、負けた人の性格とか考え方によるものではあるが投了図(棋譜)というのは「作品」として後世に残るもの。負ける側がどこでどのように腹をくくったかというのが相手への敬意を示すもので、往生際悪くギリギリまで粘るのは相手に失礼*2という風潮が将棋の世界にはあるみたい。「切腹!」と言って自らを殺める行為が武士社会にあって日本独特の風習とされているがそれと通じるものかあるかもしれない。

対照的な例として野球を挙げてみるが、10点ビハインド、9回裏2アウトランナー無しの状態はまさに「絶体絶命」だが、将棋のように降参制度はないし諦めたりしない(プロ野球ならまだしも高校野球とかなら絶対に)。

この2つの対照的な例。

上記の「病状の告白」と少し関連している。0.00001%でも病気が治る可能性があるのであれば、最後の最後まで諦めず頑張りたい。何故ならこの命、自分1人のものではないから。両親から頂いた貴重なものだし、家族や友人、その他今まで関わってきた人たちの期待があるから、最後まで諦めない*3のは自分の人生の責務みたいなもの。

ただし、奇跡を信じたいからと言ってズタボロになるまで告白するのを拒んだ結果、それが逆に悲しみを生むことになったりしないか。自分の病気に関してそういう懸念はある。

 

皆が幸せになれば自分に幸せを呼び、

皆が悲しめば自分に悲しみを生む。

 

自分がかっこつけて投了図がどうだとかみたいに将棋の世界を意識するにはまだまだ早いかも。とにかく、自分は自分の周りが幸せであればこの上ないことでそれを求めて1日1日を過ごすことが大切だと思っている。

とりとめのない文章で恥ずかしいが、自分が言いたいことの雰囲気は分かってもらえる気がする。

 

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2019/6/22の治療・検査

無し

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*1:社内では「極秘」「秘」「関係者外秘」と3レベルに分け、そのレベルに応じて機密情報の取り扱い方法も変えているが、今回の情報レベルは最も上という意。

*2:逆に敗勢でも早々と投げずに投了した時の局面が美しくなるまで進める「形作り」という言葉もある。美しくも不思議な世界。

*3:こんな野球的な考えをするのは、結果もそうだがそれ以上に頑張ってきた過程(プロセス)を大事にするからではないかと思う。高校野球ラストゲーム敗北時の涙は確かそうだった。