がんと3ヶ月娘と私 ~AYA世代の闘病日記~

2018年8月に腎細胞がんと背骨への転移と診断(ステージⅣ)。とあるAYA世代の会社員の明るく楽しい(⁉)日々の生活を綴っていきます。

地元のA病院に転院

自己紹介はこちらhttps://kurorotomo.hatenablog.com/entry/2019/02/06/222144

7月16日。

転院前のほっこり

今日は地元A病院への転院の日。

改めてこれまでの状況を簡潔に書くと、がんであると判明した昨年7月。がんの専門的な治療ができる病院にかかった方が良いと判断し、地元A病院からB病院に転院。抗がん剤治療を中心に治療を続けてきた。しかし、先月に抗がん剤治療でかかる身体への負担の大きさと効果を天秤に掛けて治療を中止するという判断に。それで、再び地元の総合病院であるA病院にお世話になることにした。

今日は転院先のA病院での手続き時間の関係上、朝9時半にB病院を出発予定。その前までに今まで約1年間お世話になった方々へ挨拶をしなければいけないと思っていたが、3連休明けということで病院内は朝からバタバタ。

一緒に挨拶周りに参加してくれようと家族も早目に病院に集合してくれていたが、こういう時に限って予定通り進まない…

残念ながら挨拶予定だった全員に挨拶するのは途中から厳しいのかなという状態になってしまった。

しかしなんと、9時前くらいのリハビリの先生を皮切りに、受け入れ病棟、緩和ケアなどの病院スタッフが続々と病室を訪れてくれる。

こういう時は自分達からお世話になりましたと挨拶に伺うのが筋だとは思うが、スタッフが来るのはこの病院の伝統?ルール?なんか、逆に申し訳ない。

みんな忙しいというのに、こんな自分に対して時間を使って見送ってくれるなんて何だかほっこり。

しかしほっこりしているのは自分だけのようで、もう会えない、これが本当のお別れという心境が周囲の涙を誘う。でも不思議と自分は元気になってまた会えるんじゃないかという気持ちがして、泣けるような気持ちにならなかった。

それならそれで良いじゃない。今日は笑顔でいよう。そう心に決め、精一杯の笑顔で感謝の気持ちを伝えた。

また、戻ってくるね。

そんな気持ちで。

しかしこの1年間で最もお世話になり挨拶しなければならなかったであろう主治医に挨拶できなかったというのはオフレコということで(笑)。

転院後は

という訳で、久々に地元のA病院に戻ってきた。今回お世話になるのは腎細胞がんなので泌尿器科

1年前、このA病院にいた頃は原発不明がんの状況だったのであまり泌尿器科にお世話になっていなかったが、当時検査で一瞬お世話になった先生が今回主治医となってくれるようで受け入れの挨拶を早々に済ませた。

(そう言えば当時、この先生に腎臓はよっぽど問題無いですと言われたんだよなぁ。今日話した感じでも、本当に腎臓が原発なのか?と少し疑っていたが…)

この病院で目に付くのは病院の新しさ。前のB病院は25年前位の建屋だったらしいが、このA病院は10年前の建屋らしく比較すると全然新しい!そして病院食もこっちの方が美味しい。でも医療はB病院が進んでいるらしいから不思議なんだよね〜。

暴れ馬(1歳の娘)がいるのでこの病院でも個室。個室入れて本当に良かった。お見舞いの対応もしっかり出来るし。

これから新しい環境に馴染むのに時間が掛かるかもしれないが、ゆっくりマイペースでやっていきたい。

 

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2019/7/16の治療・検査

ステロイド(デカドロン) 2錠×2回

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